KITANO FARM / 10年の探求
10年間探し続けた「本当の水茄子」
――泉州水なすの歴史と、貝塚澤なすの里帰り

「昔の水茄子はなぁ、今みたいな色と違ったし皮ももっと薄くて甘かったんやでー。」
今は亡き祖父と一緒に生産していた2008年頃、ことあるごとに教えてくれた言葉です。「でもおじいちゃん、今作ってるのも泉州水なすやんか」と返す僕は、いつも祖父の言っている意味が分かりませんでした。――その小さな違和感から、10年にわたる「本当の水茄子」を探す旅が始まります。
10年間探し続けた
本当の水茄子
祖父は確かに自信をもって「今の水なす」と「昔の水なす」は違うと断言しました。祖父の記憶では昔の水なすは赤紫で、縦にシワがあって、横広な――ちょうどおばあちゃんが持っている「がま口財布」のような巾着型をしていたとのこと。
確かに今の濃紺で卵型の泉州水なすとは、ぜんぜんイメージが違う。
じゃあ、その「昔の水なす」はどこに行ってしまったんだ? ――小さな疑問が、「本当の水茄子 貝塚澤なす」を探す10年の研究の始まりでした。

総勢50名以上への
聞き込み調査
すぐに情報収集を始めました。近所の種屋、もう潰れてしまって存在しない種屋の子孫の方、大阪の水なす博士、新潟の茄子研究家、昔から水茄子を生産している農家さん、普及所、図書館――総勢50名以上の方への聞き込み調査は、同時に地元・貝塚市の知られざる歴史を知る作業にもなりました。
大抵の方には、「そんなもの探して何になる?」「儲かる泉州水なすあるんやからええやないか?」「種なんかどれも一緒や」と、意味を感じていただけないことが多数でした。
それでも、一部協力してくださる方もいて、農業技術の普及所の方は「もしかしたら、この種どうですか?」とひっそりと昔の水なす農家から分けてもらった種を渡してくださったり。水なす博士・森下先生(泉州水なす研究の第一人者)からは、研究で使っていた種を分けていただいたりしました。

しかし、どれも種取りから時間が経ちすぎていて発芽しなかったり、既に交配が進み「本当の水茄子」とは言えないものになっていました。
調査の段階で、少しずつ焦りを感じ始めていました。祖父の言う「本当の水茄子」を知る世代は、もうかなり高齢の方ばかり。体力的な時間の限界が近づいている――現に、「もう2週間早かったら、生きてはったのに」と、寸分の差でお話をお聞きできなかったことも、一度や二度ではありませんでした。

大阪から新潟、
新潟から大阪へ
焦りを抱えたまま、本業の泉州水なすの生産もガッツ出しながらモンモンとしていた2016年、8月の終わり。
森下先生から1本の電話がかかってきました。
「北野君!!新潟に水茄子あったで!!」
色も赤紫、縦ジワ、がま口財布のような形。昭和の初期に大阪からの種を代々繋いできた――新潟県の中島巾着茄子(長岡巾着茄子の原種)の生産者、土田さんとの出会いでした。
土田さんは中島巾着茄子の研究を熱心にされている新潟の農家さん。大阪に茄子博士がいると聞きつけ、はるばる大阪まで来てくださったついでに、中島巾着と一緒に、昭和の初期に大阪からやってきたという茄子を持ってきてくれていたのです。森下先生もびっくり。絶滅したと思っていた「本当の水茄子」が、新潟にあった――。

僕はすぐに土田さんに繋いでいただき、「明日新潟に行きます!」と電話で伝えていました。さすがに航空便は前日だと取れず、車で行こうかと考えたけれど、新潟まで片道11時間。一人じゃ死ぬな、と思って渋々9月に入ってからお邪魔しました。
土田さんは、新潟空港まで片道2時間もあるのに、茄子の生産で忙しい中わざわざ車で迎えに来てくださいました。道中ずっと、二人で茄子話で盛り上がって。
田んぼに着いた瞬間――「おじいちゃんが言うてた水茄子や!!!!」

特徴もそのまま。新潟では「梨茄子」「黒十全」という名前で新しい品種も出ているそうですが、土田さんは代々、昔のままの水茄子も生産されていた。事情を話せば長くなるので割愛しますが、とにかくよくぞその形状を保ったまま存在してくれていたものだと、感動で涙が出そうなほどでした。
はじめは「大切な種だから」とお渡しできないとおっしゃっていた土田さんも、2017年に再訪させていただいたときに、こう言ってくださいました。
「北野さんだったら信用できるから、
里帰りさせてみますか?」
2017年春、数十年ぶりに「本当の水茄子」が大阪の大地に種を落としたのです。新潟で大阪から来た茄子として紹介され、他の茄子と血を分かつことなく代々存在してくれていたこと――新潟県のアイデンティティの意識の高さに、深く感動を覚えました。

水茄子と泉州水なすは
品種がまったく違うという衝撃
10年もの間、色んな方にご協力いただきながら歴史や系譜を調べているうちに、祖父が言っていた「泉州水なすとは違う水茄子が存在している」という核心に、だんだん近づいていきました。
以下、簡単にですが整理すると――
■ 水茄子(みずなすび/水茄)
明治・大正〜昭和戦前頃、「水の巾着」「水の中長」と呼ばれ親しまれた本当の水茄子。
■ 絹皮水茄子
昭和三十年前後、水茄子農家や種苗店が盛んに品種改良に励み、「本当の水茄子」に某地域の濃紺な某品種の茄子を掛け合わせ品種改良されたもの。(北野農園では再品種改良中のため伏せています)
■ 泉州水なす
絹皮水茄子の認知度を上げるため、JA大阪泉州・JAいずみのによって商標登録されたブランド名。
まとめると、泉州水なす=泉州絹皮茄子。
泉州水なす = 水茄子 ではなかったのです。
厳密には、泉州水なす = 泉州絹皮水なす ≒ 本当の水茄子。

「水」と呼ばれた茄子
巾着と中長の二大系統
調査を進めていくうちに、おじいさん達の世代の一部には、「水茄子」のことを「水」と呼び、「水茄子を分けてほしい」を「水くれ」と形容していたことも知ることができました。
「水茄子」には、大きく巾着系と中長系の二大系統があり、それぞれが時期と地域で親しまれてきた――。そんな系譜も少しずつ見えてきました。

食味は抜群。
決定的に見た目で淘汰された水茄子
2017年に新潟から大阪泉州へ里帰りした「本当の水茄子」を、北野農園では毎年栽培・採種しています。そこで感じたのは――
品質の良い時期が短い(5月から6月後半、旧暦の夏)のと、形状の変化の激しさ。そして決定的なのは漬けあがりの見た目の悪さ。
正直、食味は抜群に美味しいです。しかし、現代の加工技術をもってしても、どうしても皮の色が悪く漬けあがってしまう。
それもそのはず。北野農園独自で皮の組織の断面を泉州水なすと水茄子で比べてみると一目瞭然でした。そもそも濃紺の遺伝子が少なく、色が止まりにくいのです。
昭和初期、食味の美味しさに目を付けた百貨店が試験的に販売したところ、とたんにクレームの嵐だったそうです。食べていただいたらわかる、ではなく、見た目も大切――それは今も昔も変わらなかったんですね。

それぞれの世代が
時代に合わせて変化させた水茄子
高祖父、曽祖父、祖父、父。それぞれの世代で、自家消費だったり、全国販売に挑戦したり、品種改良し再チャレンジしたり――泉州地域の先人たちの手によって、大切に大切に守り続けられてきた「水茄子」の美味しさ。
まさに、泉州水なす農家として知り、守り続けていかなければいけないアイデンティティだと、改めて感じました。
儲かるから、守り続けたのではない。
美味しいから、守り続けられ、挑み続けられてきた。
ここ10年、そんな先人たちの静かなる情熱の片鱗を繋ぎ合わせ、大きな面にできたこと。それが「本当の水茄子」を尊敬する新潟の農家さんから里帰りさせていただく、大きなキッカケになったことは間違いありません。
北野農園は令和の時代、
求められる「水」茄子を創造していきます。
「本当の水茄子」を
探すから、繋げるへ
2010年頃から始まった挑戦は「種の里帰り」を実現し、栽培は4年目に入りました。
「本当の水茄子」の探求は続けますが、今後は子供達への継承や、地域の価値へと繋げる活動もしていけたらと思います。既に2017年には天王寺で茄子フォーラムを開催したりと、精力的に活動しています。
また、「水茄子」を調べ地元貝塚市の1000年以上続く歴史も調べていく中で、知ることのできた貝塚市の「水」に対する強い想いなども研究し、子供達へ継承していけたらとも考えています。

どうぞ、今後の北野農園の探求にもご期待くださいませ。
2017年・茄子フォーラム(大阪天王寺)
北野農園の泉州水なす探求の取り組みの一部をご紹介します。2017年に大阪天王寺で開催された茄子フォーラムの様子です。

北野農園 北野忠清
